2011年9月14日 THE BIG 4 ヤンキースタジアム
会場を出るときに見かけたBIG4ブートTシャツ。ブートのTシャツは権利もクソもないので写真使いたい放題で公式グッズよりかっこよかったりする(苦笑)。これの他にもバックプリントがBIG4のヤンキースタジアム公演告知で使われたボールパークの画像が使われたものもあり、かなりの人気アイテム。ブートTシャツは当然、会場の外で売っているわけですが、なかなか日本人の体型に合ったサイズはない模様。
地元紙の反応
せっかく現地に来たということで地元紙の反応を知るべく新聞を買い漁ってみた。買った中では以下の2紙にライヴレビュー記事として掲載。歯に衣着せない書きっぷり。不慣れな和訳でご紹介。
ニューヨーク・ポスト紙(2011年9月15日)
今春のカリフォルニアでの大熱狂の後、ヘヴィ・メタル・サミットつまりヘッドライナーのメタリカを筆頭にメガデス、スレイヤー、そしてアンスラックスの「The Big Four」が昨夜、Headbangers Ballのためにヤンキースタジアムに降り立った。
マーシャル・アンプの壁はボリューム出力最大にし、球場のキッズはスラッシュメタルのとんでもないビートに拳を突き上げ、髪を振り乱した。
たくさんの警察、セキュリティー、救急医療従事者、ヘルズ・エンジェルスのニューヨーク支部の人々さえいた。
開演してすぐ、まだ日も高い午後4時に組まれたアンスラックスのステージは、アーティストと観衆の共通した目標が、凶暴なる音量で壁からペンキをはがし、一緒に踊り跳ねてボルトを緩めることであるかのようだ。
午後9時からのメタリカのステージの前に3バンドが出演するなか、アンスラックスは(会場の)ブロンクスを支配したバンドである。
1時間超の公演で、この5人組は「Indians」「Metal Thrashing Mad」「I Am The Law」といった彼らの楽曲のなかで不可欠な曲でファンを熱狂させた。
メガデスは2番目に登場したが、出演したバンドのなかでは一番少ない成功を収めたショーだった。リード・シンガー、デイヴ・ムステインは会場に向かって1週間前に首にケガを負ったことを告げ、「俺はここにいるべきでさえないんだ」と付け加えた。彼は正しかった。
スレイヤーは出演中、最もヘヴィなバンドだった。彼らのセットリストは純粋なる凶暴性を帯びた力だ。ズタズタに刻むギター・ソロはありえないほど速く、ドラムは雷鳴を飼いならしたかのようだ。
ヘッドライナーとしてメタリカは他のバンドの倍となる2時間のフルセットを披露。しかし世界的なロックの魅力にあふれた彼らのライヴに不満などない。他のバンドたちの演出が限られるなか、メタリカは素晴らしいビデオワーク、花火、火炎放射、魅惑的な舞台効果をもって全力を尽くした。
ニューヨーク・タイムズ紙(2011年9月16日)
コンサートか、ツアーか、はたまた出来心か。いわゆる「The Big 4」は、ずっと前は4バンドの1つだったバンドが他のバンドよりはるかに大きくなったという注記が必要だ。
アルファベット順にアンスラックス、メガデス、メタリカ、スレイヤーが、水曜の夜にヤンキースタジアムで7時間もの記念すべきコンサートを行った。彼らは1980年代中盤のスラッシュメタルで最も人気のあったバンドたちだ(テスタメントやエクソダスを加えて「Big 5」の方がいいという人もいる)。スラッシュはハードコアパンクのスピードで疾走し、雄弁で焼夷弾のようなギターソロを短いあいだに詰め込んだ、強力なメタルの雑種だ。
今やこれらのバンドはかつての旗印のもと、一緒にツアーをしている。バンドの登場順は重要な問題だ。すべての弁護士がすべて理詰めで考えることを想像してみたらいい。(80年代のメタルは愛ではなく、攻撃性の上に少年たちの気晴らしによって築かれた。これらのバンドのあいだにはこれまでもたくさん書かれている確執がある。とりわけメタリカとメガデスのあいだには、メガデスを率いるデイヴ・ムステインがメタリカを追い出されてから確執が取り沙汰されている。)結局、水曜の登場順はアンスラックス、メガデス、スレイヤー、メタリカの順となった。
もちろんメタリカはトップに立っている。1991年に出したセルフタイトルの5作目のアルバムはバラードや高い商品価値でもって、スラッシュメタルの論理を爆破し、凄まじい数のティーンの寝室にまで行き着くこととなった。このアルバムは全米で1500万枚以上売り上げた。だからメタリカがこのイベントを提案したのだ。メタリカなしに、ヤンキースタジアムはないのだ。(続く)
(続きから)水曜日のショーは4月にカリフォルニア、インディオのエンパイア・ポロ・クラブから始まった今年の「Big 4」7回目のコンサートとなった。(昨年、「Big 4」としてヨーロッパで行われた大きなフェスティバルで何度も一緒にライヴをした。)水曜日のメタリカ登場前に、SiriusXMラジオの絶叫MC、ホセ・マンジャンがセンターフェンスに位置したステージに現れた。この東海岸史上最大のメタル・ショーを宣言するために。本当にそうだろうか?たぶんあなたが何を最大のメタルと呼ぶかによるだろう。(メタリカはヘッドライナーとして1998年に(同じく東海岸にあった)ジャイアンツ・スタジアムでラップ・メタル・バンドのリンキン・パークとリンプ・ビズキットとともにショーを行っている。)ともかくメタリカにとって、厳密に言えばどんなメタルバンドにとっても、このコンサートは大ごとなのだ。
このようにバンドが彼らの過去に取り巻いたツアーをしたいと思うのは、驚くべきことではない。長きに渡り、80年代初頭にけんか腰で始まった自分たちのストーリーに頭がいっぱいだった。これには真偽の証明が必要だが。そしてメタリカは2時間超のセットリストで主役の座を獲得した。レーザー、フラッシュ、花火を使ったステージでこのバンドのすべてのメンバーが主役らしくステージを闊歩し、各ソロを演じ、観衆は躍動した。(結成から)30年が経過し、彼らはこの手を得意分野としている。
セットリストは測ったようにインディオでのライヴとほとんど同じだった。昔の曲(「Creeping Death」)で始まり、新しい曲(「All Nightmare Long」)へと移行し、インスト曲(「Orion」)を聴くことができ、ヒット曲や転換期となる曲(「One」「Master of Puppets」)、そしてまた昔の曲(「Seek & Destroy」)が演奏された。そしてそれはスピードナンバーからスローナンバー、ミディアムナンバー、さらには心温まる曲から容赦のない曲までを用いて適度に回顧的なものだった。
スレイヤーはそれをやってのけた。彼らのセットは4バンドのなかで、ステージ以外の照明なしでもオンリーワンだった。太陽は「South of Heaven」によって沈み、ヴォーカル、トム・アラヤはじっと動かず、まっすぐ前を向き、他のバンドがやったように外野のデジタル・スクリーンに表示することができないほどの速さで歌詞を吐き出した。
忘れがたい40分程のライヴで、少しの静寂による中断以外ほとんど途切れることのないパフォーマンスのあいだ、ヤンキースタジアムは暗く、黙想にふける場所となった。ケリー・キングとゲイリー・ホルト(エクソダスのメンバー。疾患により欠席のジェフ・ハンネマンの代役。)がギターを叫ばせているときでさえ、バンドはすべてのジェスチャーを圧縮させ、一糸乱れない機械であり続けた。しばしば不安定で特に最近の曲ではタラタラしているメタリカとは違い、リズミカルに揺れていた。装甲され誰にも止められないといった感じである。そして、球場で何万人もの人々を前に演奏するという奇怪な状況でもそれは変わらなかった。